神保町に息づく古本の世界とは? ~ スーザン・テイラーさん(ハーバード大学 博士課程)に聞く

曾我隼太(3年)

初めて神保町を訪れたのは「翻訳家になるなら、まだ翻訳されてない本がある神保町に行ってみたら?」と勧められたのがきっかけだと話すスーザン・テイラーさん。今では彼女にとっての神保町は重要な研究対象であり、いくつもの論文を執筆しているほか近々書籍も出版される。そんな彼女に神保町についてお話を伺った。

(スーザン・テイラーさんプロフィール)
テネシー州のアパラチア山脈で生まれ育ち、日本語を学びたいと幼い頃から思っていた。大学に入学したのち、日本語と日本の文化を専攻しようと2006年の夏、函館へ留学。2007年の夏、再び日本に来て、初めて神保町に行き、古書街に魅了される。2008年にジョージタウン大学を卒業し、日本の商社に入社したが、2010年から東京大学大学院学際情報学府に入り、神保町について修士論文を執筆。2011年初めて韓国の古書街について知り、2012年ソウルに短期留学。現在はハーバード大学院の文化人類学部博士課程学生で、東京大学にも在籍し神保町の研究をされている。

神保町を知るには歴史から

学生にとっては“大学の街”である神保町だが、せわしなく行き交う人々の間でひと際目を引くのが古本屋の存在である。ふと路地を曲がればそこにも古本屋がある。どうして東京の中心地にアナログなメディアをそろえる古本屋が多く残っているのか。この疑問に対し「神保町は歴史を知らないと語れない」とテイラーさんは言う。

「なぜ神保町には古本屋が集まったのか、なぜ神保町には大学が集まったのか、まずは歴史から追っていく必要があると思います。例えばもともと神保町は江戸城が近いことから親藩大名のお屋敷がたくさんあったのですが、明治維新でその多くが空き家になりました。大学はその空き家や跡地を利用する形で成立していったのです」。

最初の古本屋は、現在は出版社である「有斐閣」であり、当時は法律の専門書を扱う書店だったのだという。調べてみると有斐閣の創業は明治10年、現明治大学の前身である明治法律学校の設立は明治14年である。どちらも長い年月この神保町に根を張ってきたのだ。

神保町に息づく古本文化

「日本にはのれんわけの文化がありますよね。古本屋に弟子入りした人がそこで長く働き多くを学んだ後、独立する。そして新しい書店を開く。こうやって書店は神保町に広まっていったし、この文化は今でも残っています。」

テイラーさんの流ちょうな日本語の中に出てきた「のれんわけ」という言葉にどこか新鮮味を感じていると続けてテイラーさんの話は自身の研究について最も興味深かったという「競り市」に及んだ。明治古書店会、洋書会などのいわゆる古書の交換会は毎日開かれている。

「入札するとき店主はこれぞと思った本のタイトルが書かれた封筒に自身の営む店舗の名前を記入した紙を入れていきますね。そして彼らはその封筒を手に取り厚さを確認するのです。時には光にかざしてみたりしてその本の人気度を確認するのですね。面白いでしょ。驚いたのは一番高い入札金を提示した人がその本を落札できるってわけじゃないっていう事ですね。当時初めてその話を聞いた時理解できませんでした。訳を聞いたら当事者の人もわからないって。不思議でした」。値が高くつけばそれでいいというわけではなく本の1冊1冊に売り手が見込んだそれぞれの適正価格がある。買い手もそれに応じる。そんな古本に生き、古本を愛した者たちが脈々と受け継いできた暗黙の了解のようなものがそこにはあるのかもしれない。

若者と神保町

若者の古本に対する価値観の変遷についてもお話を伺ってみた。

「今は若者が古本の新たな使い方をInstagramやTwitterで広める動きもありますね」。SNSの利用者は全世界で42億人を超え日本でも8千万人近い人々が利用している。古本とSNSの連携からも神保町の魅力は更に発信していける可能性があるだろう。一方、古本屋で手に取ってみないとわからない良さがあるとテイラーさんは力説する。その両方を、つまりアナログとデジタルどちらも使っていく事がこれからの神保町の姿なのかもしれない。

「古本屋を営む人からは、学生は今どんなことに興味を持ち、どんなことを学び、どんな趣味を持っているのか、そしてもう古本屋に来ることはないのかと聞かれることがあります」。

私たち学生も町の一部となって関係を深め、お互いが学び合えるような世界線で関わっていけるといいですねと話すテイラーさん。

目まぐるしい変化を遂げてきた日本の中心地、神保町で今も変わらず生き続ける文化にもっと触れていかなくては、そしてそれを伝え続ける人々ともっと深く関わっていきたいと思う。

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