神保町インタビュー「大和屋履物店」ー「文化の継承」と「新しさ」への挑戦

萩原聖(4年)

6月15日、大和屋履物店5代目店主の船曳竜平さんを中心に4代目の小倉佳子さんや3代目の小倉ヤス子さんにインタビューをさせていただきました。

大和屋履物店」さんは明治17年(1884年)に創業した老舗の下駄屋さんです。130年以上にわたり、神保町に店を構えて下駄づくりの技術・伝統を守り続けています。今年の5月には店舗をリニューアルし、新店主の船曳さんを中心に様々な企画展も開いています。

長きにわたり神保町で愛されてきた大和屋履物店さんの“これまで”の歴史や、慣習にとらわれず進化をつづける“これから”の展望についてご紹介したいと思います。

左:船曳竜平さん(5代目)・中央:小倉ヤス子さん(3代目)・右:小倉佳子さん(4代目)

脱サラして、下駄屋の店主に

船曳さんは明治大学のOBで、卒業後は大手生命保険会社に勤務していらっしゃいました。そして、今年の5月から奥様のご実家である大和屋履物店の5代目店主として店頭に立たれています。サラリーマンから一国一城の主に転身された経緯や想いを伺いました。

Q1. なぜサラリーマンから大和屋履物店に転職されたのですか?

転職の理由は「サラリーマンという仕事に漠然とやりがいを感じなくなったこと」と「年功序列という世界に違和感を覚えてしまったこと」ですかね。そこに私の奥さんの実家に後継ぎがいないという課題があり、需要と供給がマッチしました。

Q2. ご出身が栃木県日光市の川治温泉ということですが、温泉街で幼少期を過ごされた経験は今のキャリアに関係していると思われますか?

多分、そこまでは関係してないですね。偶然に偶然が重なった結果だと思います。明治大学に入ってなければ今の奥さんと出会うことはなかったですし、今の奥さんと出会うことがなければ下駄屋にはなっていないでしょう。下駄屋を継ぎたいっていう想いよりも、自分が社会人の時に培ってきた課題解決能力を生かしたいっていう思いが強かったですね。

ただ一方で、ひとつだけ関係あるなと思ったのは実家が川治温泉の旅館なんですよ。そこで商売をやっていたので、接客とか商売をすることの楽しさっていうのは昔から知っていました。だから、サラリーマンから、接客・小売業に転身することへの抵抗は少なかったと思います。

Q3. サラリーマン時代で比較して、今やりがいを感じるのはどのような時ですか?

経営の1つのテーマ・ビジョンとして「文化を継なぐ店」というのがあります。まだリニューアルオープンから1カ月半程度ですけど、新しく伝えられている、伝わっている人が着実に増えていると思うので、そこにはすごくやりがいを感じています。

私がこのお店に入ることはコストが増えることでもあるので、下駄屋としてただ残すだけだったら私はここで働かないほうがいい。ここの売上とかで、私の生活するためのものを生み出そうとしない方が下駄屋としてやっていくだけだったら多分正解ですよ。たまにアドバイスをしたり、手伝うぐらいの感覚でやる方が良いんです。

でも、そうじゃなくて「日本の今なくなりつつある文化を残さなきゃいけない」ということにフォーカスすると、ここで何かをすることにはやりがいを感じています。自分の付加価値をここでどうにか上げていかなきゃいけないと思うからやりがいをもって働いています。

「文化を継なぐお店」にする為に、各作家さんの活躍の場を創り出せたらとも思います。あとは、この経験をもとに同じようにお手伝いできる店があったらぜひ協力させていただきたいので、そういう経験につながることもやりがいですね。

「文化を守ること」と「変わり続けること」の両立

神保町は古書店や喫茶店などたくさんの老舗があります。都会の中心にありながらも、どこか懐かしさを覚えるような歴史の詰まった街です。そんな神保町でも大和屋履物店さんは特に歴史があり、長きにわたって神保町の人々に愛されてきました。リニューアルが決まると、お客様から「あの看板だけは残してほしい。あれは私の中の景色になっているんです」というメッセージを頂いたそうです。

地域の方々にとっては「街の景色」になっている風情あふれる看板

大和屋さんがどのように神保町で受け入れられてきたのか。また、なぜリニューアルされたのかについて伺いました。

Q1. 「これまでは神保町でどのようにお店を営んでこられたのですか?」

履物屋が今までの世の中でどういうニーズがあったかと言われたらば、おそらくは「街の履物屋」でしょう。昔はインターネットもなければ、デパート、百貨店、スーパーもなかったので、それぞれの町のいろんな場所に履物屋があって、そこで地域の人は履物を買っていました。実は、過去には近所にライバル店があって、あちらが下駄を10段積んだら、こっちは12段積む。そういう戦いをしていたそうです(笑)。だからこそ、地元の方々に対して、「履物なら何でも揃う店」として町のみんなが履けるものを置いておこうという営業をしていました。

あと、私が継ぐ前の大和屋で1番印象に残っているのは、街のみんながここに集まっておしゃべりしているシーンがすごい多かったことです。今は、コロナの影響もあって難しいですが、「街の履物屋」としての地元の方々が集まれる場所であり続けたいです。

Q2. 「今年の5月にリニューアルされましたが、なぜリニューアルに至ったのですか?」

大和屋として、ずっと改装したい想いがあったようです。下駄に加えて、下駄屋で生まれた染色作家の「小倉充子」という存在があり、しっかりと作品の魅力を伝えられるようなお店にしたいという想いがありました。しかし、家族だけではそれらを運営していくだけの人材がいなかったため、二の足を踏んでいたようでした。前述のとおり、そこに脱サラを目論む私が現れたので、一緒になって1年半かけてリニューアルの計画を立て、今年の5月にリニューアルオープンすることができました。

型染作家 小倉充子さん
1967年 創業明治17年より三代続く神田神保町の履物屋「大和屋履物店」(町内での通称は「角の下駄屋」)に生まれる。
1994年 東京藝術大学 大学院美術研究科デザイン専攻修了。その後、染色家・西 耕三郎氏の下で江戸型染を学ぶ。
1997年 「小倉染色図案工房」として独立。きもの、手ぬぐい、下駄の花緒、暖簾など、多様な型染め作品を制作する。
図案、型彫り、染めまで、ほぼ全ての工程を一貫して手がける。
(出典:小倉染色図案工房HP

Q3. 「リニューアルにあたって、工夫されたこと、こだわられたことは何ですか?」

まずは、商品を大和屋でしか買えないものに厳選しました。特に、下駄に必要な鼻緒と台を自分で選んでセルフカスタマイズできるのが当店の一押しポイントです。鼻緒は我々が生地から見つけてきたり、作家さんにお願いして作ったものばかりなので、絶対に大和屋でしか手に入らないものです。台も職人さんの手仕事がつまった世界にひとつの台となっています。自分だけの特別なものに出会えるので是非いらっしゃってください。

次に、お店の半分をイベント企画スペースにできるように変更しました。きっと前来た時と次来た時にはまた違うお店にはなっています。今までに、ゆかた展・草履展・日傘展などを開催しました。何か新しいものに出会うきっかけになると思うので、それを体験しに足を運んでいただきたいです。

最後に、買い物だけじゃなくて、町の皆さんや通りかかった人がコミュニケーションをとる場になったら良いなと思っています。実は、商品棚の一部は人間が乗っても大丈夫な強度で、快適に座れる高さに設計しました。三味線の演奏会や落語の口座をやろうという話もあります。下駄というものをベースにしながら、色々なことに挑戦できる場所にしたいです。

人が腰掛けられる商品棚と素敵な履物

Q4. 「リニューアルに対して、お客さんの反応はどうですか?」

以前より当店を利用してくださっていた方々からは「商品の見やすさ・選びやすさがあがった」という声をいただいています。また、企画展もご好評をいただいています。さらには、学生さんといった若い層のお客様や新規のお客さまも増えました。お店としての入りやすさと認知が向上した印象があります。

Q5. 「かなりの頻度で企画展を開催されていますが、何かこだわりはありますか?」

企画展を開く上での私たちの裏テーマが「今週も大和屋行かなくちゃいけないじゃん」って思ってもらうことなんです。だから、6月だけでも4つの企画展を計画しました。

まだ、リニューアルしてから1ヵ月半ぐらいですけど、その間に5,6回来店してくださったお客さんもいます。以前からのお客様には、いい意味で「大和屋変わったな」と感じてもらいたいですし、まだ大和屋を知らない人には「神保町に、こんな店があるんだ」とワクワクしてもらいたいです。お客さんに喜んでもらうだけでなく、作家さんとかにも「大和屋で作品を展示したい」って思われるような企画になるように心がけています。

7月からは「手ぬぐい祭り」を企画していて、さまざまな作家さんに手ぬぐいの制作をお願いしています。テーマは「神保町or大和屋」です。この企画展が神保町を知るきっかけにもなってほしいとも思っています。

入店して右手には色鮮やかで素敵なデザインの「手ぬぐい」が展示されていました

Q6. 「SNSを活用されていますが、意識されていることはありますか?」

SNSは情報発信するだけではなくて、「コミュニケーションをとる場所」だと思っています。ただ単に「こういう企画展にあります。こういう商品入荷しました」だけだと面白くない。お客さんが今求めているものは何かと考えた時に、お店の人と気軽にコミュニケーションをとれることじゃないかと思います。もちろん真面目な事も書きますが、基本的にはお店の雰囲気とかを知ってもらって、気軽にコミュニケーションをとってもらえるきっかけにしたいです。

*大和屋履物店さんのHPや各種SNSはこちら!! → 大和屋履物店 | Linktree

Q7. 「今後のお店の目標についてどう考えていらっしゃいますか」

「もっといろんな人が楽しいって思ってもらえるお店」です。お客さんは少しずつ増えてはいるものの、やっぱりまだまだなので、もう少し世代と地域を拡大できたらいいなというのが目先の話です。もっと先の話をすると、今は充子さんの作品が中心だったり、また、下駄の職人さんはもう高齢なんですよ。なので、しっかり自分たちが職人さんを探したりしながら、この下駄という文化を残すためにはどうしたらいいんだろうっていうのをちゃんと実現できるような経営していきたいと思っています。一方で、下駄を広めようと活動している方もいて、そういう方とどんどん知り合って、そういう方が気軽にここでイベントが開けるような、そんなお店にして行きたいです。

Q8. 「職人さんの後継者問題もあるのでしょうか」

なかなか、若い人が「下駄職人になりたい!」とは思わないですよね。そこが、この業界の怖いところですよ。こういう話題でよく聞くのが、そもそも下駄を作ることを我々は「すげる」と言うのですが、その道具がもう作られてないんです。需要が無いから。だから本当に「下駄文化」というものがすぐ無くせるような文化になっている。

その原因として、ひとつ感じていることは「価格が下がりすぎている」ということです。それなりの物を安く買える環境になっているので、モノの価値がものすごく下がっている。だから、後継者になろうとは思えない金額で取引されている。それを「いいものはそれにあった価格で販売すべき」という動きを我々の方で取らないと、職人さんになるっていう夢を持つ人がいなくなってしまいますよ。だから、私たち販売店だけじゃなく、職人さん側もしっかりと商売として成り立つ仕組みを作らないといけない。

じゃあ、大和屋が価格を上げればいいかというと、そんなに単純じゃない。他にも下駄屋さんはあるので、自分たちだけでは根本的な解決にはならないと思います。正解がわからない、解決が難しいからこそ、考え続けなければいけないんです。

「大和屋履物店さんからのメッセージ」

「気軽に入っていただきたいという想いでお店をリニューアルしました。是非一度訪れていただいて、日本の職人さんたちの手仕事というのを触れる機会していただけたらいいなと思います。」(5代目)

「買い物とかじゃなくても、ちょっと顔を見せてくれたり、気軽に通ってもらえたらなと思います。」(4代目)

おわりに

お話をうかがうなかで「文化を継なぐ店」という経営ビジョンに信念をもって取り組まれていると感じました。和装文化を広める・守るために、イベントやSNSなど様々な方法で、私たちが和装文化に触れる機会や作家さんが活躍できる舞台を作られています。私たちも「いいコーヒーには いい○○」という活動コンセプトに込めた想いを実現できるように、今一度、何ができるのか・何をすべきかについて考えなければならないと感じました。

また、職人さんを守るためには「いいものはそれにあった価格で販売すべき」というお話しが印象的でした。私たちがテーマにしているコーヒーも、高品質なものであっても生産者の手元に入る金銭が少ないことが課題になっています。日本の伝統文化と海外のコーヒー生産に共通する問題があるのは興味深いですし、「神保町×コーヒー」をテーマにしている私たちとしては何かチカラになりたいと思います。

最後に、お忙しいにも関わらず3代目から5代目まで総出でご対応いただきました。ありがとうございました。
また、船曳さんは、インタビュー後もゼミの活動などにアドバイスをしてくださる後輩想いの優しい先輩です。きっと、お店を訪れた際は気さくに話しかけてくださると思うので、ぜひ足を運んでください。

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